after laughter

Your choices make yourself.

いろいろ供養

下書き供養。なんとなく。

「あなたのためにやっているの」

相手を思ってやること、は結局自分がやりたいだけ、というのは先日首がもげるほど頷いたとおり。ではなぜ他人のことに首を突っ込みたくなるのか。単に責任を取らなくていいからか。客観的に問題を捉えることができ、解決策を的確に提案できる(と思っている)からか。あるいは優位な立場に立ちたいからか。それとも自他の境界が曖昧なだけ(相手が困っている=アドバイスを必要としている、と信じて疑わない)か。

これって配信における、よかれとおもってネタバレコメントしちゃう事象のことだよな、とも思っている。「アドバイスください」とはっきりと言われない限り、アドバイスは余計なお世話。

<下書き供養のため尻切れトンボ。いつぞや判明させたいこの優越感の正体。>

物語のたのしみかた

ゲームなり漫画なり映画なり、物語を他人と同時に見て感想を共有することは昔からあまり得意ではないが、実況配信を見ているとその苦手意識がどんどん強くなる。

先ごろ見ていたのは出自による差別をテーマにしたRPGで、個別の差別事案にいちいち「ひどい」「許せない」というコメントが相次いだ。ストリーマーもこれには少々呆れ気味で、ひどいと言うだけでなく、その背景事情に目を向けられるようになると物語のおもしろさがわかるようになるよ、とリスナーへアドバイス。他のRPGでも同様に、対立している局面では片側の状況だけを見るのではなくて、両者の状況を踏まえるべしとのこと。ごもっともである。(だから推してるのだ。)

個別の事象からその世界の社会通念や権力構造を理解して、われわれが生きる現実世界の場合は?と想像することでようやく物語のメッセージを受け取ることができると思うのだけど、ここまで多くの人がメッセージにたどり着けていないとは。正直驚いてしまった。リスナーの多くは(ある程度ゲームに触れる機会があって)物語に慣れ親しんできたほうかと思っていたが、そうではない、あるいは、単に見ているだけで咀嚼できていないのか。いずれにせよ、表面的な物事しかとらえていない人が大多数なんだろう。

あと、個人的には、どの登場人物がなしたことも、彼らの置かれた環境に適応した結果だと思っているのだけど(もちろん背景情報と行為とがうまくリンクしてない場合もある)、どうもその人格に結びつけて考えてしまう人が多いみたいだ。もし自分がその状況に置かれたら?視聴者が知っている情報をその人物は知っているか?など、一呼吸置けばそんなことは言えないだろうというコメントがどんどん流れてくる。

差別をしてはならないと口では言っていても、実際のところ他人を差別している人がかなり多い(と思っている)理由はここにある。他人にしてはならないことをする人と自分の間にくっきりと境界線を引いているのだ。自分だってその立場に追いやられたら同じことをするかもしれない、と思っている人はどれほどまでにいるんだろう。誰かに対して嫌悪感を抱いた場合、相手に対する嫌悪感の存在を認めて、その理由は一体なにか(なにが解消されたらその嫌悪感は軽減するか)を考えると思うのだけど(必ずしも解消を目的とはしない)、きっとそこまで心を割いている人って一握りなんだろうな、と。

期せずしてリスナーのマスがきっと物語をたのしみきれていないのだろうなと痛感したシリーズであった。なお、話としては一部納得いかんのですが(相手の能力を勝手に奪うなよ…せめて相手の意志確認を(野暮かもしれないけど)もう少しわかるようにしてほしかった…)概ねおもしろかったです。おじさんたくさんうれしいなあ。